近年、お茶に関するメディアが増え、英語での日本茶に関する情報発信も格段に増えた。
そういったメディアで発信される情報は、大まかに3つに分けられる。お茶に関する知識の情報、イベント結果報告などの過去の情報、そして開催予定のイベント予告である未来の情報だ。
知識情報、過去情報は、これまでも様々なメディアで蓄積されているが、未来情報は、各産地や主催者ごとに断片化されており、一般の人が適切な情報へ行き着くのは至難の業である。
今回ご紹介するWebメディア「日本茶生活」は、過去情報はもちろん、未来情報についても全国の最新情報を発信しているポータルサイトだ。また日本語と英語の2か国語で、日本茶についてきめ細やかな情報発信をしているのも特徴の一つである。
「日本茶生活」では、日本茶や日本茶の文化や知識に関すること、全国の茶産地・日本茶カフェの紹介にとどまらず、海外の日本茶カフェも紹介されている。また、これから開催される全国の日本茶関連のイベント情報も随時発信されている。さらには日本茶文化の普及と楽しみを広めるためにWEBメディアでの情報発信だけにとどまらず、日本茶のリアルイベントも主催している。
そんな国内外で変化・発展を遂げている日本茶の魅力を様々なカタチで発信する、日本茶生活合同会社(以下、[日本茶生活]) 代表 三浦一崇さんに話をうかがった。

目次
消費者や読者、みんなが好きに楽しめる日本茶ガイドが作りたい!
Q:日本茶生活合同会社について簡単に教えてください。
三浦:「日本茶の感動体験を世界中に」をコンセプトに、日本茶の淹れ手・伝え手として日本茶ウェブメディア「日本茶生活」の運営や、日本茶イベントの企画運営、日本茶ケータリングサービスなどを展開しています。
Q:「日本茶生活」とはどのようなウェブメディアですか?
三浦:ウェブメディア「日本茶生活」ではお茶の伝え手として最新の日本茶文化を発信しています。
日本茶のお店、イベントなどお茶に関する情報を発信している、日本茶を楽しむためのウェブメディアガイドだと思っていただけると良いかもしれません。
「日本茶生活」は日本人の人だけでなく、日本茶に興味を持ってくださっている海外の人にその情報が伝わるよう、日本語と英語の二カ国後対応をしているのも特徴の一つです。
(photo by Hiroki Yoshida)
僕自身は業界的には「編集者」という肩書きですが、「日本茶生活」はその編集者が作った日本茶ガイドだと思っていただけると。
Q:「日本茶生活」を作ろうと思った理由を教えてください。
人によって生きている環境はもちろん、興味・関心は異なります。日本茶も十人十色な人々たちにあった楽しみ方があるはずなんですよね。そこで、僕は一人ひとりが自分に合わせて日本茶を楽しんでもらうためのガイドを作ろうと思いました。
(photo by Hiroki Yoshida)
Q:[日本茶生活]のミッションを教えてください。
三浦:ミッションかぁ….…今は、何かを“成し遂げる”というよりは、とにかくお茶のファンやお客さん、消費者の方に近い、その人たちが必要としているもの、欲しいものをキャッチできる距離感で活動をしていたいと思っています。
これはミッションになるのかな(笑)……あ!「楽しいをつくる」ですね。
僕のミッションは楽しい場をつくることです。楽しさは必要だし、笑顔はもっと必要だと思うんですよね。
Q:[日本茶生活]の現在位置を教えてください。
三浦:[日本茶生活]の現在位置は、年齢で例えるなら12歳くらい。まだ僕の中では準備中の気持ちなんです。ようやく日本茶コレクション2023のイベントを終えたことで、やっと「準備フェーズ1」を終えたような気分のところです。
そしてこの次のフェーズである、どうやって日本茶のことを伝え、どうやってファンをつくり、育てていくのか。ここが大きな挑戦になるかなと思っています。
日本茶コレクションの様子(photo by 日本茶生活)
僕はいままで、日本茶業界の中だけでイベントなどを手がけてきたのですが、それでは限界があるなと感じていて。外の世界へもっと日本茶のことを知らせなければいけないし、それが編集者/広報として僕がやっていかなければならないことだと感じています。
企画したお茶のイベントが楽しすぎて、のめり込んでしまったという話。
Q:三浦さんはどんな人でしょうか。
三浦:やっぱり自分は[日本茶生活]を運営している人。もっと広義な意味合いで紹介するとすれば編集/広報の人ですね。
Q:そもそも、三浦さんは元々お茶に興味をお持ちだったのですか?
三浦:いえ、元々は全くお茶には興味ありませんでしたね(笑)
中学の頃からファッションに興味があって、その中心地・東京がある都市圏に上京したいと思っていました。
念願叶い、神奈川の大学に進学、上京しました。学部は経済学部。ファッションとはなんの関係もない学部で「ここにいてもファッションのことを何も学べないじゃん!」となり、一年で大学は辞めました(笑)
その後、本格的にスタイリストを目指してファッション専門学校へ入学しました。憧れていた人気スタイリストのアシスタントとして弟子入りしたんですが、全然仕事ができなくて数ヶ月でクビになってしまい。1年後に再度、クビになってしまった師匠の門を叩く決意をしてお金を貯める期間にしました。
3ヶ月間のヨーロッパ旅をともに歩んだ自転車(photo by 日本茶生活)
しかし不思議なことに、お金を貯めたらなぜか本場ヨーロッパのファッションを自分の目で見たくなってしまい、3ヶ月間イタリアとフランス、イギリスを自転車で旅しました。旅をしていた当時は、ロンドンだけは印象はよくなかったですね(笑)イタリアとフランスの人たちは優しかったんですが、ロンドンへは二度と行くもんかと思いました、そのときは。
Q:3ヶ月のヨーロッパ旅を終え、帰国してスタイリストになられたんですか?
三浦:いや、それがスタイリストではなく、ファッション雑誌の編集者になりました。縁があり、出版社で働くことになったんです。その会社で3年ほど、編集者としてファッションに携わりました。
リーマンショックを経て、世界が不況に陥ったとき「俺、ファッションのことしかわからない!もっと世界に目を向けなければ!生き残れないかもしれない!」と思い、独学で経済の勉強を始めました。大学で無駄だと辞めたはずの経済に戻ってくることになります(笑)
そして徐々に海外で働いてみたいという思いが強くなり、転職活動をしてタイの出版社で働くことになりました。
そこでは3年ほど、フリーペーパーの編集をしていました。タイで3年ほど働いてみると、次はニューヨークかヨーロッパで働いてみたいと思うようになり、ネクストステップではビザを取得して2年間ロンドンで働くことにしました(笑)
3ヶ月間のヨーロッパ旅行の際には、「ロンドンには二度と行くものか」と思っていたのに不思議ですよね。
Q:ロンドンでも編集のお仕事をされていたのでしょうか。
三浦:全く編集とは関係ありませんでしたね。営業をしていました。
働いていたのはロンドンの食品会社で、メインの商材だった魚を飲食店やレストランへ営業し、販売していました。当時は夢にサバが出てくるくらい、魚と向き合った2年間でしたね(笑)
社長も僕のことを認めてくれていてビザが切れた後は就職という形で僕が残ることを期待してくれていたのですが……ここで残らない、帰国するという選択をしちゃうのが僕なんですよね。
日本のPR会社で働くということをやり残していたので帰国することにしました。自分の中でPR会社に勤めるというのが大きな目標の一つだったので。
Q:日本に帰国してPR会社で働き始めたんですね!
三浦:ええ、帰国後ベンチャーのPR会社で働き始めました。
日本茶に関わるようになったのはその頃からです。
カネカ北川製茶の北川さん(左端)と三浦さん(右端)(photo by 日本茶生活)
それと、この頃からカネカ北川製茶の広報を手伝うようになりました。北川とは高校時代からの長い付き合いで。仲の良かった北川なので、自然とイベントをやろうという話にもなり、2015年に二人で[Tea Labo Green]というイベントを開催するようになりました。
これが僕にとっての大きなターニングポイントでしたね。
Tea Labo Greenの様子(photo by 日本茶生活)
[Tea Labo Green]を企画して、開催した翌日にはお茶ロスになりましたね。イベントがすごく楽しくて。自分は当時PR会社勤めだったので「もうお茶に関われないのか」と思うと寂しくて、もっとお茶に関わりたい、このイベントを終わらせたくないと思い、2回目以降もこの[Tea Labo Green]というイベントを続けることにしました。
NEW Titleのサイト
オフィスに毎月お茶が届く法人向けお茶サブスクリプションサービス「オフィス グリーンティー」
その後、[NEW Title]というサイトを作り、ケータリングをしたり、オフィスに特化したサービス[オフィス グリーンティー]をコロナ前に作ったりしました。
Q:いよいよコロナ明けに立ち上げたのが[日本茶生活]ですよね?
三浦:そうです。それまでに、カネカ北川製茶の一員として働き、日本茶に関わってきたことにより、茶業界全体の活性化の必要性と重要性を感じて[日本茶生活]を立ち上げました。
色々な産地へ赴きましたし、ちょうど同時期に中国詣にもハマっていたこともあり、中国へも頻繁に行っていました。元々は中国でお茶の大きな展示会「TEA EXPO」があるから行ってみようというのがきっかけでしたね。
三浦さんが衝撃を受けたという中国のTEA EXPO(photo by 日本茶生活)
実際に足を運んでみると、そのTEA EXPOがとにかく衝撃的でした。規模が大きすぎて。そしてとにかく楽しくて。それから毎年、年に2回行くようになりました。
日本で日本茶のイベントを企画していた僕は、中国のTEA EXPOのスケールの大きさを目の当たりにしてから、今まで企画していたイベントよりもより大きな日本茶のイベントを手がけてみたいと思うようになりました。
自由な発想を大切に。今あるものをさらに良くするためのナビゲートをする[日本茶生活]
Q:中国のTEA EXPOからイベント視点で学ぶことなどはありましたか?
三浦:たくさんありますね。いちばんは無限にある表現力だと思います。
中国のTEA EXPOなどを通して、日本が中国の茶文化から学ぶべきポイントは個性・独創性ですね。
“こうあるべき”という固定概念を持たず、自由にじぶんたちのお茶を、個性を、表現している中国の茶文化を目の当たりにし「日本茶生活として表現したいことは何か。伝えたいことは何か。」と考えるようになりました。
(photo by Hiroki Yoshida)
僕自身は編集者なので[日本茶生活]で“新しい何か”をクリエイトする必要性はないと考えています。自分はあくまで今あるものをさらに良くする「編集する人」、そしてそれを広める「広報の人」なので。
日本茶という日本がもつ良き“モノ”を編集し、イベント、ウェブメディア、ケータリングと形をかえ発信し続け、人々の「お茶のこれをやりたい」を思い描けるような情報を一人でも多くの方に届け、応援していきたいです。
日本茶ほど取り組んでいて苦しくて、でもロマンを感じるものって、ないですよね。
Q:三浦さんにとってお茶とはどんな存在ですか?
三浦:ありきたりな回答かもしれないですが……すべて。自分?人生?
そうとしか考えられないですね。
(photo by Hiroki Yoshida)
僕個人としては、日本茶ほどロマンを感じられるものって他にないと思うんですよね。
日本茶の世界には課題がたくさんあり、やってもやっても新たな壁が立ちはだかり、終わりがありません。苦しいことも多いです(笑)
こんなに掴めなくて、ゴールが捉えられないものなんて今まで出会ったことないし、人生をかけて取り組むには時間が足りないとさえ思います。
だからこそ自分だけでは実現しきれない、でも同じく日本茶に対して何かしら夢をもって取り組んでいる人たちを[日本茶生活]を通して応援して、より多くの日本茶に関する新しい景色を見たいと思っています。
そのためにも[日本茶生活]で編集者として僕ができることにできる限り取り組んでいきます。
Q:日本茶を取り扱う難しさを何か感じることはありますか。
三浦:良くも悪くも歴史が長いことだと思います。言い換えるならば「歴史の重み」ですかね。
日本茶は、地域ごとに独自の文化と歴史があります。加えて一人ひとりに個人のお茶に関する歴史がありますよね。どこで、いつ、誰と、何を飲み、といった過去に体験したこと、これが個々人間で違いすぎるがゆえのアプローチの難しさが日本茶にはあると思います。
(photo by Hiroki Yoshida)
日本の多くの人が違う環境の中で日本茶に触れ合ってきてしまっているので「ふつう」という概念がバラバラなんです。人によっては安いものであったり、逆に高価なものであったり。お金を払う価値のあるものであったり、無料で提供されるのが「ふつう」であったり。その「ふつう」を作り上げている各個人の原体験はもちろんみんな異なります。
各個人の過去が積み重なってきたのが日本茶の歴史なんですよね。ただみんなが違う原体験を持っているので、お茶に対する価値観や考え方が違う。一人ひとりに対して提案を変えていかなければならない。そう考えたときに、アプローチがとても難しいと感じます。
Q:三浦さんが注目している人やサービス、業界はありますか。
三浦:コーヒーと日本酒の業界です。
この二つの業界は常に意識していますし、リスペクトもあります。
例えばイベントという観点では、コーヒーも日本酒も刺激的ですし、規模も全然違う。日本茶のイベントもコーヒーや日本酒のイベントのような規模感に成長させていきたいです。
Q:これからの日本茶業界の未来はどんなふうになっていくと思いますか。またどのようになって欲しいですか。
「僕はお茶業界の未来のことは考えないようにしようと思ってはいるんですけど(笑)」と笑いながら話す三浦さん。願う未来があるとすればそれは「明るい」ものであるといいます。
そうですね、未来は明るいと思いたいですよね。いや、暗いところは見ない、明るいと思えば明るい!
僕は明るい未来を作ります!