お茶の消費が減っている。
これは生産者や販売者など、お茶に関わる者にとっては緊喫の課題である。しかしこの課題を結局、解決してくれるのは消費者だ。
2015年に設立された一般社団法人 日本茶アンバサダー協会は、お茶のファン(消費者)が自分のできることを通じて、お茶に関わる人たちを底支えすることを目的に創られた協会だ。
ゆるやかなネットワークで、「敷居の低さ」「ほどよい値段」といった裾野を広げるためのキーワードを大切にしながら、活動を続けている。その活動は、松屋銀座での「番茶フェスティバル」やその屋上でお茶を育てる「銀座のお茶プロジェクト」など、一般の消費者の枠を大きく超えた活動も展開している。
日本茶アンバサダー協会ほど目に見える形で活動しているお茶のファン(消費者)の集まりはなかなか見当たらないが、こういった活動をしているグループは、茶飲み友達にはじまり、有形無形で存在している。
お茶に関わる者にとって、このような集まりとのコラボレーションはお茶の消費拡大に直結すること間違いない。
どのような人たちが、どのようなきっかけで、「行動する消費者」となってくれるのだろうか?
お茶のファンを増やし、育てつづける日本茶アンバサダー協会代表理事の満木葉子さんにお話をうかがった。
神戸生まれ、鹿児島育ち。立教大学を卒業後、数社を経て2011年に株式会社ねこぱんちを設立。
商品開発や販売促進のサポートを通して“まだ”力を発揮できていないヒト・モノ・コトを応援。キモチをカタチに!
2015年に一般社団法人日本茶アンバサダー協会を設立。
日本茶アンバサダーの募集・育成、産地や企業・自治体との協働事業創出、イベントやセミナー、
講演、執筆を通じて日本茶のファンづくりを行い、生産者と産地のエンパワーメントに取り組む。
目次
良い消費者を増やす。日本一敷居の低い日本茶フェスティバルを運営する日本茶アンバサダー協会
Q:日本茶アンバサダー協会(以下、協会)はどのような協会ですか。
満木:緩やかな協会でしょうか。特に年会費などをいただいてるわけでも活動を強制するようなこともなく、気持ちとかタイミングが合えばいっしょにやりましょうという、会員と会員が有機的に繋がっている協会ですね。
番茶フェスティバルを運営した日本茶アンバサダーと出展者のみなさん
“この指とまれ”で、興味のある人に活動に参加していただくという形にしています。私としては一人でも多くの日本茶アンバサダーが日本茶の普及活動に関わることのできる機会をもっとつくっていきたいと思っています。
Q:なぜ日本茶アンバサダー協会という名前にされたのですか。
日本茶アンバサダー協会 代表理事の満木葉子さん
満木:日本茶のファンの裾野を広げようと思ったときに、どういう形で、どういうやり方がいいのだろうと考えました。
みんなが“先生”になるのって難しいじゃないですか。時間も経験も必要ですし。そこで思ったんです。
一般の消費者ですから、普段はお茶のことを忘れていてもいい、でも旅先の土産物店でお茶を見た瞬間にふと「私は日本茶アンバサダーだ!お茶買って帰ろう!」と思ってくれるような、そんな人をたくさん増やした方がいいなと。教えるのではなく伝える人、なので「日本茶アンバサダー協会」という名前にしました。
Q:協会の活動内容についてお聞かせください。
満木:大きく3つありまして、1つ目は銀座のお茶プロジェクトのように、日本茶と接する機会を創出することです。
2つ目は『日本茶アンバサダー』の任命と、任命したアンバサダーの活動の支援・育成をすることです。
最後3つ目が自治体や企業の日本茶活用促進です。
『日本茶アンバサダー』は日本茶に携わる経験や実績がある方以外は、最小限必要な知識や体験を得ていただく講座を受講していただいて任命させていただきます。
産地で集合形式で行う「日本茶アンバサダー公募講座」には、日本茶にすごい関心があるというよりは「おもしろそうだから」「日本茶アンバサダーの友人に誘われて」と、ライトに参加してくださる方がかなりいらっしゃいます。
一方で日本茶インストラクターの方など、知識のある方や、かなり活動されている方が「楽しそうな会なので」と参加してくださったりします。どちらも大歓迎です。
協会では、試行錯誤しながらごく普通の人がゆるっと入ってこられるお茶の入り口を作っています。
「ねこぱんち」と会社の名前まで親しみやすくキャッチーなものにしてしまうおちゃめな満木さん
いちばん一般の人にお茶と接してもらえるイベントだと番茶フェスティバルになりますね。
番茶フェスティバルの裏テーマっていうのがありまして(笑)「日本一敷居の低いお茶イベント」というのがテーマになっています。
既にお茶が好きな人にも、もちろん楽しんでもらいたいのですが、愛好者むけのイベントは結構たくさんあるので、たまたまふらっと入ってきた人に「なんかお茶っていいかも」と思ってもらえるような、敷居の低い、楽しいお茶のイベントをつくることを協会では意識しています。
日本茶アンバサダーにとっても、イベントのサポーターになることで研鑽の機会、アンバサダー活動の機会にしていただいています。
Q:協会のミッションをお聞かせください。
満木:日本茶とのコンタクトポイントをたくさん作るのがミッションです。
イベントや講座もですが家庭や職場など日常生活での展開が大切です。
急須で淹れた日本茶を久しく飲んでいない人や、もはや飲んだことがない人たちも増えていますから、逆に一杯のおいしい日本茶との出会いをつくることで日本茶のファンはまだまだ増やすことができると感じています。
そのためにも「行動する消費者=日本茶アンバサダー」を増やすことが必要です。
「良い消費者を育てよう」ということですね。
Q:協会として活動を続ける原動力はどこにありますか?
満木:設立した時の動機と同じにはなりますが、お茶づくりに真剣に取り組んでいる生産者さんたちに報われてほしい、という思いです。
質のいいお茶をつくろうと手間暇やコストをかけても収入にビビッドに反映させるのが難しいんですよね。一生懸命やっても報われにくい。
産業としての難しさに加えて、消費者は減っていて、価格上昇は難しく、それでいて肥料や電気代など経費は上がっていて。
切ないですよね。がんばっている人が報われる世の中であってほしいと思いますし、わたしたち消費者がおいしいお茶を飲み続けるためには、お茶づくりを頑張っている人たちが報われるべきだと感じています。
番茶フェスティバルの様子
例えば番茶フェスティバルの時に、出展してくれた生産者さんが一日立ちっぱなし、しゃべりっぱなしで疲れているはずなのに、朝来た時よりも元気になって帰っていく姿をみるととても嬉しいです。
それぞれ地方でお茶づくりの日々を過ごしていると「売れないな」とか「価値がないのだろうか」とか、元気の出ない日があると思うのです。
番茶フェスティバルに出展してみると、仲間もいるし、おいしいと目を輝かせてくれるお客さんにたくさん出会うことができる。応援してくれる人たちもいる。
出展者に自信とエネルギーをチャージして産地に持ち帰っていただくのがもう一つの裏テーマなんです。こういうことを続けていかなければと思います。
“報われる”のゴールはお茶がしっかり売れて、お茶づくりに邁進できることだと思うのです。そのためにどうしたらお茶が売れるのか、お茶はどうなったらいいのかを消費者目線になっていつも考えています。
Q:協会が力を入れている活動を教えてください。
満木:銀座のお茶プロジェクトは力を入れている活動の一つですね。われながらいい活動だと思っています。横展開をしていきたいですね。
それと日本茶アンバサダーの活動支援はこれから特に力をいれていきます。
「落語×日本茶」の会を開催してくださる方がいたり、日本茶ブランドを立ち上げる方も出てきました。海外で活躍している方もいます。
日本茶を英語で伝える学習サークル「英語でお茶」が昨年立ち上がり、こちらは日本茶アンバサダー協会公認サークル第1号です。
先生と生徒ではなくていっしょに学んでいこうというのが、やわらかくて日本茶アンバサダーらしい活動ですね。とってもうれしいです。どんどんやってもらいたいです。
協会公認サークル第1号の「英語で日本茶」の写真。中央奥が日本茶アンバサダーの桜井昌代さん。
ヨガの講師をしている方といっしょに「日本茶ヨガ」を構築して広めることにも取り組んでいます。
魅力的な方がたくさんいるので、活躍していただくためのサポートをすることで日本茶のファンが増えるようしたいと考えています。
日本茶アンバサダー協会という仲間がいるからできることもあります。
最近では陶芸展の運営を協会でさせていただきました。
一人ではできないことをするために協会にしたので、大変なこともありますが、協会にしてよかったと心から思います。
お問い合わせもかなりいただいているので、日本茶アンバサダーにお迎えする機会をもっと増やしたいと企画しているところです。
日本茶アンバサダー協会設立のきっかけは農家さんの「ねこちゃんなんかやってよ!」だった
Q:そもそもお茶に関わる仕事をしようと思ったきっかけはなんだったのですか。
満木:もともと我が家はお茶好きの家庭でした。
私が子供のころはまだ烏龍茶やハーブティーは一般的ではなかったのですが、母がとてもお茶好きなもので、家で色々なお茶を飲んでいたんです。
Q:では子どもの頃からお茶好き、というのが高じて今に至ったのですか。
満木:そうでもなくて。
確かに昔からお茶は好きでよく飲んでいたのですが、仕事で忙しくしていてあまり飲んでいない時もありました。なので、急須で淹れるのはめんどうとか、お茶離れしている人の気持ちもわかります。
お仕事としてお茶に関わるようになったきっかけは、もっと後です。
煎茶道の家元と出逢いまして。
新潟であったイベントの帰りの新幹線がたまたま一緒になったんです。その時に家元が新幹線の席についているちっちゃなテーブルの上でお茶を淹れてくださったんです。持っていたペットボトルの水と紙コップだけを使って。そのお茶が驚くほどにおいしくて。
肩肘を張るようなこともなく、あるものでささっとお茶を淹れてもてなしてくださる。その世界観。このおいしさ。なんて素敵なんだろう、と感激しました。
それをきっかけに家元の講演などについて回ったりしました。茶道をしたいというよりはお茶とはいったい何なのか知りたくて、お話を聞くのがおもしろかったです。
お茶を点てる満木さん。最初は「仕方なく始めた」というのが信じられない姿。
けれど、結局自分でやってみないとわからないことも多いことに気がつき、仕方なく茶道も習い始めました(笑)
Q:ではその家元との出会いがきっかけでお茶のお仕事に興味を持つようになったんですか。
満木:いえ、じつは茶道を始めた頃も、ずっと完全に趣味でした。
お茶に関わるお仕事をするきっかけはまだまだ先ですね。
農業用の資材の試験導入で秦野の高梨茶園さんにお世話になりまして。お仕事をご一緒するなかで、だんだん打ち解けて話すようになりました。
そんな時に「お茶業界ってじつは右肩下がりで、やめてしまう人や子どもには跡を継がせないっていう人がたくさんいてね」というお話を聞いたんです。
「マーケティングの仕事なんかやってるんだったら、ねこちゃんなんかやってよ!」って茶畑で言われて。
それまではお茶に対して何かしようとか、仕事にしようとか、考えたこともありませんでした。
何か私にできることはないだろうかと、いろいろ調べたり茶業者の方にお話を伺ったりして。あのひと言から日本茶アンバサダー協会に辿り着きました。
少しでもお茶づくりを身近に。大都会の屋上でお茶をつくる「銀座のお茶プロジェクト」
Q:銀座のお茶プロジェクトとはどんな活動なんですか。
満木:協会設立にむけて準備中の2014年に白鶴酒造さんの「白鶴銀座天空農園」ではじめて、その後、2018年に松屋銀座に場所を移して、新たに「銀座のお茶プロジェクト」としてスタートさせて、さらに2022年からは美作市が加わって、三社体制で現在まで続いています。
美作市が加わったのは、美作の葉茶屋を舞台にした映画の事業監修をさせていただいたことがきっかけで。
歴史ある名産地でしたが生産者が減っていてこのままだと途切れてしまうのに待ったをかけるために、消費者の多い首都圏で発信をしていくこと、それを還元して地元の人に美作のお茶の価値を知ってもらうことが目的です。
2022年に美作市が加わる際に大谷健太郎監督をお迎えして実施した植樹会の写真。
Q:松屋銀座の屋上で「銀座のお茶プロジェクト」を続けている理由を教えてください
満木:お茶のことを知ってもらいたいと思ってもいきなり「静岡の茶畑までいきましょう」というのは、ハードルが高いじゃないですか。
けれど「銀座の屋上でお茶が見られるよ。」という呼びかけだと、ちょっとおでかけついでに来てくれるんですよね。
「銀座のお茶プロジェクト」、現在の松屋銀座の屋上の様子
お茶に高い関心があるわけではない一般の方々にこちらから寄っていこう、もっと接点をつくっていこうと思い、継続して取り組んでいます。
少し時間はかかりましたが、今ではその接点づくりの場として上手く機能し、ノウハウも蓄積されてきたので、やはり続けてきてよかったなと思います。
Q:都会の屋上でお茶をつくるのってすごく難しそうですが……
満木:最近だとカイガラムシ(お茶の害虫の一種)がすごくてすごくて……!大変です。
当然、農薬は撒けないので、みんなで歯ブラシでこすったりとかしてるんですけど……。その様子をフェイスブックに公開してたりもします。
プロジェクトメンバーのお子さんもカイガラムシの除去をお手伝いしてくれました(by 満木さん)
Q:銀座の屋上で優雅なお茶栽培、という様子だけを発信してるわけではないのですね
満木:本当は、もうちょっと美しいプロジェクトにしておきたい気持ちもあるんですが……(笑)
あえて全て公開しながら栽培をしています。私たちの発信を通して、お茶づくりが大変であること、当たり前に飲めているその裏にはすさまじい努力があることなどを知ってもらえたらなと思っています。
Q:苦労して育てたお茶の葉は製茶したりしたのですか。
協会の皆さんはじめとするプロジェクトメンバーの努力の結晶である「銀座紅茶」
満木:「銀座紅茶」というのをつくりました。二番茶から5回の収穫を積み重ね、紅茶が75gできました。3点だけですが、松屋銀座の福袋にいれていただいて販売することができました。
お茶の葉を摘んでは岡山・美作の海田園黒坂製茶さんへクール便で送り、手揉みで製茶してもらうことを繰り返しました。
銀座の一等地でできた貴重な紅茶です。地価を反映したらいくらになるか……(笑)
プロジェクトメンバー、松屋さん、美作市、黒坂さん、みんなで協力して育ててきたものなので、とても感慨深いです。
目指すは1億総日本茶アンバサダー。“佳いお茶”を未来に繋ぐために日本茶アンバサダー協会としてできることを
Q:日本茶業界の将来はどうなってくと思いますか。
満木:お茶以外の食品も食品以外も、高いものか安いものかどちらか、みたいな感じになるのかなと。世の中そうなりつつありますよね。特徴のあるものをつくっているところか、もしくは大量生産でやっていくところ、このどちらか以外は大変になってきていますよね。
私はその中間にある、“ほどよい値段で佳いお茶”をつくってくれているところにもいい形で続いて欲しいと思っています。じゃないと気軽にお茶が飲めなくなっちゃう。そのために私は何をすべきなんだろうなっていつも考えています。
Q:協会としては将来どうしていきたいとお考えですか。
満木:すごく大きな話をすると1億総日本茶アンバサダー、日本の人がみんな日本茶アンバサダーになってほしいですね(笑)
日本茶への興味・関心のアンテナが、短くてもいいからみんなに「ぴっ」と立っていたらいいなと思うんです。海外に広めていくのも大切ですが、足元の日本でまずしっかり消費者を育てていきたいです。
自製自販するところが増えたり、通販で購入できるようになって、イベントもたくさんあって、作り手の顔がみえるようになりました。
消費者だってなにかしたいんですよ、作り手の役に立つことを。
昨今でいう“推し活”ですよね。
でも何をしていいかわからない。
日本茶アンバサダー協会はそういう気持ちに応える受け皿になっていけばいいのかなと思っています。
ゆるさが魅力の協会だと思っているので「●年までに●人」みたいな明確な数値目標とかはあえて設定していないのですが。
Q:満木さんにとって、日本茶は取り扱いが難しいと感じますか。
満木:日本茶は歴史が長く日本の暮らしに溶け込んでいるので、みんなの中にすでにイメージがあるのが、難しいところでしょうか。
身近なものゆえにあえて知ろうと思いにくかったり、なんなら知ってるつもりになっているというのが日本の今の消費者だと思うんです。日本茶ってこんなもんでしょ?て。いやいやもっとすごいから!
そこを変えるには強い体験とか、熱量がちょっと必要なのかなと感じています。
「こんなにおいしいの?!」と驚いていただけると嬉しくてにんまりしちゃいます。
Z世代とか、さらにα世代になったら、親も急須のお茶で育っていないので、海外の人の受け止め方と近くなるでしょう。そうするとまたアプローチも変わりますよね。
Q:茶業界はこれからどう変化すべきだと思われますか。
満木:茶業界と一括りにして論じるのは難しいですね。
業態によって、経営規模によって、扱っている茶種や価格帯によっても事情は異なり、必ずしも利害が一致しません。地域で一枚岩に……というのもこれがなかなか難しいですし。
時代が変わる、消費動向が変わるのはしかたないというか、これまでも、これからも、そういうものなので、一社一社が、自分は、どうなりたいっていうのを明確に描いて舵取りしていくことが強く求められています。まあ一般企業なら当たり前なのですが。
ではどのように事業のリストラクチャリングをしたらいいのか、正解がなかなかみえないのが悩ましいですが、悩み続けることこそが生き残る鍵なのかもしれません。
なんて偉そうなことを言ってしまいましたが、茶業者が時代の波を超えていく、その後押しをするのが日本茶アンバサダーの役目ということで。
できることに精一杯取り組んでいきたいと思います。
「茶畑に立つとなぜかいつもこのポーズになってしまう」と
お決まり(?)のポーズを見せてくれた満木さん