上の写真を見て、茶畑だと分かる人は、きっと少ないだろう。約百年前、機械化が進む以前の茶畑はこのような風景だった。茶の収穫が茶娘たちの手摘みだけだった頃、茶畑は今のような緑のストライプではなく、このような風景だった。
そして今もこの風景に新芽がめぶく茶産地がある。滋賀県東近江市の政所(まんどころ)だ。約600年前には茶栽培が始まり、今も百年以上前の茶畑の風景が守られている。かつて「宇治は茶所(ちゃどころ)、茶は政所(まんどころ)」と茶摘み唄にも歌われた古くからの銘茶の産地だ。
政所のこの風景が守られた背景は、幾重にも折り重なっているが、在来種7割、乗用摘採機ゼロ台、完全無農薬、化学肥料ゼロ、全員兼業農家など、他の茶産地にはないキーワードがたくさんある。
政所は、戦後から現在までつづく「経済合理性の追求」、具体的には、品質向上のための在来種からやぶきたへの改植、収量アップのための農薬・化学肥料の導入、効率化のための乗用摘採機の導入といったことを産地としてやってこなかった。
そして今も約60軒の兼業茶農家が2.5ヘクタールの茶畑で玉露を含む昔ながらの茶作りを続けている。
原風景ともいえる政所に広がる茶畑は「発展と拡大だけがあるべき未来なのか?」という問いに、静かに答えてくれる。政所に移住し、10年以上、政所茶にたずさわる山形さんにお話をうかがった。
目次
銘茶の産地・政所を守る[政所茶縁の会]
Q:[政所茶縁の会]とはどのような組織ですか?
政所茶縁の会メインメンバーの皆様(中心に立っているのが山形さん)
山形:県内に在住する30代の女性有志のメンバーがつくっている任意のチームです。メンバーに公務員の人がいたりする関係で営利活動はあまりできてはいないのですが、産地や茶畑を守ることを行っています。
また、私が代表をつとめている[政所茶縁の会]同様、私が個人事業主として事業をしているのが[茶縁むすび]です。[茶縁むすび]では政所茶をつくったり販売する他、ツアーや体験イベントなど産地のファンを増やす取り組みも行っています。
Q:山形さんの思うミッションを教えてください。
山形:政所茶の風景が、私たちの次の世代にも目に見える形で残るために今できることをする、でしょうか。
Q:[政所茶縁の会]活動する一番の魅力を教えてください。
山形:私自身が感じるやりがいや魅力は、失われつつある、日本の素晴らしく、大事なものを、微力ながらも自分が関わることで、息を永らえてくれているのかもしれないという実感が持てることです。
茶摘みの様子
日本茶っていう切り口に関わらず、日本人のDNAにある「丁寧に暮らす」とか「ものづくりの心」とか「他人を思いやる心」という大事な部分、みなさんの琴線に触れる部分がこの土地にはたくさん眠っているんだろうと思うので、政所に来ていただくとそれに触れていただけるのではと思っています。
Q:[政所茶縁の会]での山形さんの活動について教えてください。
山形:生産に関しては、今は政所産地全体で2.5ヘクタールしかないんですね。私が[政所茶縁の会]として生産に携わっているのは400平米(0.04ヘクタール)くらいしかないです。あとは、加工場のオペレーターとして入るので、基本的に全生産者の政所茶の加工をさせてもらうメンバーの一人でもあります。
精楺作業をしている山形さん
また、[茶縁むすび]として自分のところで生産した政所茶だけではなく、売り先のない政所茶を仕入れて販売をしたり、お煎茶以外の新しいお茶・ほうじ茶、薪火で焙煎したお茶、抹茶や紅茶を作ったりしました。
Q:[政所茶縁の会]にとってベンチマークやライバルはいますか?
山形:参考にさせていただいているところはあります。
岐阜県の春日村というエリアの産地作りや地域づくり。静岡県の伊川村のエリアになるのかな、大沢地区といって縁側カフェをされているところを見せてもらったのですが、そういう産地の暮らし全体を見据えてブランディングする……みたいなところを参考にさせていただいています。
Q:山形さんにとって日本茶とはどのような存在ですか?
山形:じつは、わたしはもともと日本茶をそんなに好きではなかったんですね。日本茶が好きじゃなかったからこそできることがあると思っていて。それを今やっているのかなって思います。
日本人って日本茶を飲んだことない人はいないはずだけど意外とみんな知らないですよね。触れたことがあるのに知らないものっていう意味では、日本茶はすごく可能性があるなと思っています。皆さんの好奇心をくすぐりやすいですから。
もうすでに日本茶と皆さんは接点があるのに、だけど「知らない」っていうところが日本茶のおもしろいところかなって思っています。
この10年で変化したのは「関係人口の増加」。その背景にあるものとは
Q:政所茶の生産規模は現在どれくらいですか?
政所の茶畑
山形:私が政所と関わり始めて11〜12年になりますが、政所という産地としては、今、ピーク時の30分の1ぐらいの生産量だと思います。荒茶の生産量ですと、年間1tぐらいです。
生産者は60軒ちょっといますが、この10年は良くも悪くも、生産者は減りも増えもしなかったんですよね。生産者が減らなかったのは一定の評価されるのかもしれないとは思いますが、生産量拡大には寄与していないんです。
圧倒的にこの10年で変化したのは政所の関係人口増加ですね。
茶摘みイベントの参加者との集合写真
ツーリズム観光客として政所へ1回来てくださる方もいれば、継続的に来てくださる人もいます。移住者も増えましたね。
政所産地の担い手として地元の人で跡取りがいない場合に、外からの人が畑を引き継いだパターンや、大学生がやってる畑があったり、高校生がやってる畑があったり。政所の関係人口はこれからも増えそうな気配がしています。
Q :政所茶をつくられている生産者さんはほとんど手摘みですか?
手摘みの様子
まず、約60軒の生産者がいて、茶畑は100ヶ所ほどあります。約60軒の生産者さんのうち20軒が少なくともひとつの畑では、手摘みをしています。あとは刈茶ですね。手ばさみで刈る人、一人刈りの人、二人刈りの人といますね。
一人刈りの様子
政所茶は産地の中で約7割が在来種なんです。残りの3割は品種茶ですがほぼやぶきただけで。二人刈りができるようにしてあるので、そういうところは、手持ちの二人刈り機で刈っているところもあります。
今の時代に原点回帰した理由。作り手のプライドが守ったもの
Q:かつて銘茶と謳われるほどの産地だった政所ですが、今でもそのプライドは感じますか?
政所茶の価格を生産者さんたちが下げていないところから感じますね。
品種茶が当たり前になり、栽培方法が大きく変化してからは、競売化が成り立たないようになってしまいました。問屋さんに政所茶を「粗悪なお茶」と評価されるようになってしまいましたね。政所茶は流通から取り残された時代が50年ぐらいあるんです。
私は政所に来させてもらったタイミングがとてもよかったんです。
政所は地域的にも東近江市のなかで一番課題山積だと言われるくらいの過疎高齢化の地域です。苦肉の手段で「外部の人間の力を借りよう……!」となった限界のタイミングで私は政所にきました。
私がちょうど政所へ来たあたりの時代から価値観がだんだん転換していき、政所茶を守ってこられたことが、評価されたタイミングでした。
この50〜60年の間、世の中のものさしがごろっと変わってもなお、「政所茶」としての誇りを捨てずに、自分たちが何を大事にしながらお茶づくりをするべきかを忘れずに取り組んできた政所の生産者の方々は本当にすごいです。生産者さんたちは政所茶の値段を下げなかったんです。
Q:茶業界では茶価が下がっているのが一般的な現在の状況ですが、政所茶の価格はずっと値下がりしていないということですか……!
私が政所に来たばかりの時は、売り先のない政所茶がたくさんあるという話を本当によく聞きました。実際に生産者さんのところへ行ってみると、たくさん売れ残りの政所茶があるんです。
「これ、どうされるんですか」と聞くと、「安く売るぐらいなら畑に捨てる」と。「こっちから頭を下げて買ってもらうぐらいなら買ってもらわなくて結構だ。」そうおっしゃるんです。
政所茶の生産者の方々は「欲しい人が買いに来ればいい」というスタンスなんですよね。もちろん皆がみんなそうではないですが(笑)
食べるためにプライドを捨ててまでも、望んでいない政所茶をつくり、安い値で買ってもらうことに、生産者さんたちは喜びは全く見出してないんです。政所茶に対する誇りが政所という産地をここまで守ってきてくれたんだろうなというふうに思っています。
「こんな在り方」「こんな残り方」ありだよね。そう思ってもらえるロールモデル産地を目指して。
Q:[政所茶縁の会]としてどのような将来を描いていますか。
山形:将来的な部分を思い浮かべているわけではないですが、「政所茶」単品が残っていても、この「政所」という産地は魅力はないと思っているので。例えば、政所には空き家がたくさんあるので、そこを移住した方々に使ってもらい、移住をした人同士でどういうコミュニティをつくっていくのかとか、「政所茶」単体ではなくって「地域づくり」をしていきたいと思っています。
茶畑で作業をする山形さん
これまで地域の人がされてきたことを、ただ単に引き継ぐのは多分違うと思って。守るべきものは守り、変えることは変えることで歴史は繋がっていくんだと思うんです。そういう意味で茶畑・政所茶だけではなく産地全体が荒廃せずに、血が通った状態で将来にわたって続いていければという風に思っています。
Q:政所茶を取り扱う難しさを感じることはありますか。
山形:政所茶は「袋詰めしたお茶」だけでは魅力が伝わりきらないところが難しいなと思います。茶葉を袋に入れて商品棚に置いてあるだけでは魅力が伝わらないし、消費者の人に選んでもらえない、他の産地でつくられた茶と比較してもらいづらさみたいなのがあるなとは思っています。
品評会のような場で日本茶に価値をつけるという世界もありますが、在来種というだけでそのようなコンペティションへの出場チケットが取れなかったりするんです。どうやって嗜好品である日本茶の多様性を楽しんでもらえるかを、頭をひねって考え、戦っていかなければいけないと思っています。
Q:これからの茶業界の未来はどんなふうになっていくと思いますか。そしてどんなふうになって欲しいですか。
山形:時代が変わってきて、こういう政所のような産地の在り方もありなんじゃないかなって思うんですよね。大きな行政の立場から言うと「数値目標をいかにクリアできているか」という生産量や売上額などの数値が重要になってきてしまうのですが。そういった行政が定めた数値目標に振り回されてしんどい思いをされている茶産地もあると思うんです。
少量であっても届けたい人に届けられていれば、精神的な満足感があると思うんです。もちろん義務感で日本茶をつくっている方もいるとは思いますが、それでも何かお金以外の得られる価値があるからこそ、みなさんお茶づくりを続けていらっしゃると思っていて。
政所はお茶づくりを複業的にされている方がたくさんいます。今までは「お茶づくりが専業でなければ産地ではない2.5ヘクタールを切った時点で産地ではない」という評価のなかで、“産地”か“産地ではない”か、“課題”か“課題ではない”と区切られていましたが、わたしたちもその区切られ方をなんとかしようと思っています。
お茶生産における規模拡大は、クオリティが下がったり、機械化が進んで茶価が落ちてしまうこともあると思うんです。それもどうなのかなと。だからこそ、政所の産地を見てもらい「こんな生き残り方もひとつの正解なんだ」と思ってもらえる時代になったら良いなと思います。
今は誰よりも日本茶、政所茶に向き合っている山形さん
「こういう産地もありだよね」「こういう残り方も幸せだよね」って思えるともっと茶業界に関わる人たちの幸福度も上がると思うんです。
All photos by 政所茶縁の会