日本で旅館やホテルに宿泊すると、部屋に必ずお茶がある。当たり前のことだ。しかし海外に行くと、部屋にお茶(日本茶)はない。これまた当たり前のことだ。つまり、国内の旅館やホテルにおいてのみ、お茶は「当たり前のおもてなし」として取り扱われている。
そして、その「当たり前」をコンセプトにまで高めたホテルがある。それが2018年に開業したお茶がテーマの[ホテル1899東京]だ。このホテルを運営するのは、創業1899年(明治32年)の龍名館グループ。ホテルの他にお茶をコンセプトにしたレストランやカフェも手掛ける。
コロナ禍が明け、円安の進む今、観光業のなかでも特にインバウンド観光(外国人の国内観光)が活況を呈している。昨年(2023年)も2000万人以上のインバウンド観光客が日本を訪れ、これからもインバウンド市場は成長すると予測されている。
日帰りではないインバウンド観光客にとって宿は要。そこでのお茶は「当たり前」ではなく、「特別」であるべきだ。「当たり前」としてお客様の部屋の中まで入り込めるお茶は、一番身近にある日本文化で、そして日本文化の真髄を伝えられる特別なもののはずだ。
お茶をテーマに「茶✕宿」の可能性を実践している、龍名館専務取締役の濱田裕章さんにお話を伺った。
大手金融機関での勤務後、「ホテル龍名館東京」の開業準備のため2008年(株)龍名館に入社。
ホテルフロント勤務後、ホテル龍名館お茶の水本店の改装、ホテル1899東京の開業に携わり現職に至る。
目次
「国の光を観る」観光業に携わる者として、日本の文化「日本茶」に光をあてる。
濵田:突然ですが、「観光」の語源ってご存知ですか?
Q:いえ、存じ上げないです……観光の語源を教えてください。
濱田専務から突然の「観光の語源とは」クイズ、驚きとともに勉強になりました(photo by Hiroki Yoshida)
濵田:「国の光を観る」というのが観光の語源なんですね。私たちは主にホテル業ですが、観光業に携わる龍名館グループとして、日本という国や日本文化をホテルの中に組み込み、それらに光をあてて、日本という国や文化の良さを“観せる”ということを意識してきました。
まるで茶室のようなエントランス。(photo by Misako Yoshida)
ただ寝泊まりをするだけの場所ではなく、文化的な要素を取り入れることを重視し、レストランなども運営していました。しかし、2014年に開業した「レストラン1899お茶の水」の運営を通して、日本茶という文化により正面から向き合い取り組んでいくべきなのではないかと考え、この[ホテル1899東京]というホテルとレストランを2018年につくりました。
Q:2018年に[ホテル1899東京]をオープンされてからはどのようなことに注力されてきましたか?
濵田:主に二つあります。一つ目は、すでに営業していた同ブランドのレストラン含めたブランディング面に注力しました。
[ホテル1899東京]の開業と共に、改めて「1899ブランド」の見直しを行いました。そして見直した新しい「1899ブランド」に合わせて、ホテル開業時にはすでに営業していたレストランを再調整し、“1899”というブランドを宿泊施設として継続的に体現していけるようにしました。
ある一つのブランドがスタート当初はコンセプトに沿っているものの、時間とともにその世界観がお座成りになってしまうことは珍しくありません。1899ブランドではそうならないよう、開業後の一つひとつの企画等に気を遣ってきました。
二つ目は、[ホテル1899東京]としての価値を上げていくことに注力しました。一般的にホテルは立地や客室の広さなどが価格につながる重要な要素になります。
[ホテル1899東京]では「お茶」というコンセプトがお客様にとって滞在するに値するホテルの価値につながるように1階のレストランも含め、日本茶を使った料理を提供したり、日本茶文化を感じていただける空間づくりに取り組んできました。
日本茶とひとことで言っても、その提供のスタイルは様々だと思っています。
当たり前ながら、私たちが提供しているものは茶道ではない、かといってお茶を生産しているお茶農家でもない。私たちが提供できる日本茶の形を社内で話し合った結果、茶料理を提供する、日本茶の文化を感じる空間作り、そういったところに磨きをかけようとなりました。
茶農家がお茶を保存するために今でも使っている「茶箱」がずらり(photo by Misako Yoshida)
Q:ホテルやレストランという空間・体験を通してお茶を知っていただく、ということを重視されているのですね。
濵田:そうですね。私たち1899は、お茶の生産者ではなく、行政等の面からお茶の業界に関与する立場でもありません。あくまで1899は、ホテル事業・レストラン事業という不特定多数の人々が集まる場所を通して、「日本茶」の文化・魅力を伝えていける立場になることを目標としています。
Q:[ホテル1899東京]にとってのベンチマークやライバルとなるホテルや飲食店、企業はありますか。
濵田:日本茶という観点から考えると、同業者でベンチマークやライバル視しているところはありません。
私たちが常に考えているのは、お客様のお茶と共に過ごすゆるやかな時間をつくるにあたって、宿泊業として何を提供できるかということです。
日本とお茶の文化をさりげなく取り入れた「侘び寂び」の空間づくり
Q:今回、宿泊させていただいたのですが、部屋に縁側があって驚きました。この縁側もコンセプトである「お茶と過ごすゆるやかな時間をつくる」を表現するためのひとつなのでしょうか?
濵田:そうですね。縁側というよりは“縁側を模したもの”ではあるのですが、「言われなければわからない」ような仕掛けはたくさんありますね。
Q:わざわざ「言われなければわからない」ようなものにしているのは理由があるんですか?
(photo by Hiroki Yoshida)
濵田:コンセプトでもある「お茶とともに過ごすゆるやかな時間」をつくるために、館内デザイン、音楽、スタッフの行動・サービス、あらゆるものを統合して体現したいと考えています。
巨大な急須のオブジェを用意すればお茶をコンセプトにしていることがわかりやすいかもしれませんが、[ホテル1899東京]ではそのような企画色の強い取り組みをしたいわけではなく、ブランドコンセプトとして定義しているものを、宿泊業に必要な要素を通してお客様に伝えていきたいと考えています。
言われなければ気づかないような、さりげない日本茶や日本の文化をモチーフにしたものはたくさんご用意しています。
Q:他にはどんな“模している”ものがありますか?
ベッドの脇にある茶筅を模した灯(photo by龍名館 )
濱田:例えば、客室ですと、いちばん分かりやすいのはベッド脇の灯です。これは抹茶をたてる時の「茶筅(ちゃせん)」を模しています。
茶則(ちゃそく:茶葉を茶器などに移すための道具)モチーフのランプ。
正面から見ると確かに茶則。さりげないので気づかないかもしれない…!(photo by Misako Yoshida)
他にも、エレベーターのフロア案内は茶則をモチーフにしていたり、ルームウェアにはお茶の「一芯二葉」が描かれていたりします。
縁側に見立てられた場所。窓際の席なので日光浴しながら座布団に座ってお茶を飲みたくなる(photo by Misako Yoshida)
レストランである一階の床タイルは、茶室の畳を模した組み合わせにしていたり、椅子は縁側をイメージした長椅子にし、その上に座布団をおいたりしています。
茶室の畳から着想を得たという1899のロゴモチーフ(photo by Hiroki Yoshida)
ロゴとは別にブランドのモチーフパターンもつくったのですが、それは茶室の畳をモチーフにしています。
Q:わざわざロゴだけでなく、モチーフパターンまでこだわってつくったのは何か意図があってのことでしょうか?
濵田:他のブランドを参考にするために色々調べていたとき、有名な名だたるブランドはロゴマークと一緒にモチーフパターンがありました。
そこでロゴとは別にオリジナルのパターンを作り、それも展開していきたいと思い、モチーフパターンも作りました。
パンフレットにもさりげなく畳縁のロゴモチーフが!さりげなさがまたおしゃれ(photo by Misako Yoshida)
1899のパンフレットにもこのモチーフパターンがうっすら入っているんですよ。見てみてください。
Q:飲食業においては、お茶をテーマにどのような取り組みをされていますか?
濱田:[ホテル1899東京]の一階はレストラン・カフェスペースになっており、そこで茶料理を提供しています。その他にも2023年には、お茶の水店(千代田区)ではお子様向けにパフェ作り体験を開催したりしました。甘いパフェをつくって食べてもらい、最後にお茶を提供するという取り組みをしました。
お子様向けのパフェづくり体験の様子(Photo by龍名館 )
イベントとしては「パフェづくり」なのですが、最後にお茶を提供することで、お子様に、急須でお茶を淹れる姿やお茶の味わいを体験していただくことに重きをおきました。
コンセプトである「お茶と共に過ごすゆるやかな時間」を体現するためにも、少しでもお茶に触れることのできる領域を広げる、ということに価値があると信じています。
日本人にとって身近すぎるお茶。「貴重な文化」であるお茶の価値を体験し、実感してほしい。
Q:お茶を取り扱う難しさはありますか。
濱田:日本人にとって馴染みがありすぎることですかね。
(photo by Hiroki Yoshida)
お茶は、私達にとって無料で提供され、飲むことのできるものという位置付けになってしまっています。お茶には、特別感やお金を払ってまで飲むものという感覚がなかったりします。
そんな位置付けになっているお茶に対して価値を感じていただき、お金を支払ってでも体験したいと思ってもらうということは難しいと感じますね。
Q:濱田さんご自身にとってお茶はどのような存在ですか。
濱田:私にとって、お茶は「貴重な文化」ですね。
茶道も「貴重な文化」ですが、お茶はもっと我々にとって馴染みある、生活に溶け込んでいる飲み物で、それ自体が「貴重な文化」だと思っています。
Q:1899ブランドのミッションをお聞かせください。
濵田:「お茶と共に過ごすゆるやかな時間をつくる」というのが我々のブランドコンセプトになっています。
そのコンセプトと実現させるために、「レストランだったら」「ホテルだったら」「子供向けだったら」というように様々な切り口でコンセプトを体現できるような取り組みをしています。
Q:1899ブランドの将来のイメージを教えて下さい。
濱田:あくまでお茶業界の主役はお茶の産地の方々だと、私たちは思っています。私たち1899はその産地の方々が作った魅力あるお茶に対して光をあてる存在になりたいと思っています。
お茶に関しては多くの活動家がいますが、ホテルやレストランといった国内外から不特定多数の人々が集まる場所を有しているのは、1899の強みだと思っています。
Q:これからの茶業界の未来はどんなふうになって欲しいですか。
濱田:私たち日本人にとって、お茶が今までどおり、生活の一部でありつつ、一方でもう少しお茶について見つめ直すようになってくれるといいなと思います。
(photo by Hiroki Yoshida)
お茶は、私たちの生活の中であまりにも近すぎる存在です。多くの人にとって、改めてお茶の存在価値を見直そうとはならないと思うんです。ですが、ひとりでも多くの人にお茶を見直していただき、改めて触れてみると、改めて急須で淹れてみると、お茶と共に過ごす時間が自身にとって心の満足につながることを感じてほしいと思っています。
Q:茶業界やお茶に関するおもしろい取り組みをしている人はいますか。
濱田:1899が取り引きさせていただいている埼玉で狭山茶をつくっている宮野園さんや、静岡のやまま満寿多園さんには大変お世話になっています。
宮野さんはいろんな商品を取り扱っていらっしゃいますし、様々な人を招いたりと活動の切り口がとても多い方です。やまま満寿多園さんは基準の厳しい海外に通用するクオリティのお茶をつくれる茶園です。
それぞれの方から、「お茶を広めたい!」という志をものすごく感じます。
Q:今後、茶業界はどう変化すべきだと思いますか。
濱田:茶業界では素晴らしい取り組みがたくさん成されているかと思うのですが、もう少し一般の方に認知いただける・参加できる場があるといいなと思います。
ですので、私たち1899は、これからもひとりでも多くの方にお茶の価値を見直してもらえる機会を茶業界の皆さんと一緒に作っていきたいと思っております。