《茶✕実・油》目指せ!オリーブオイル。全国に広がる放棄茶園は宝(茶の実)の山。茶の実油の普及で放棄茶園は復活する。【日本 茶の実油協会/地藤久美子】

お茶の生産量が減少し、茶畑も減っている。全国の茶園面積は、史上最大の6.1万ha(1983年)から3.7万ha(2022年)へと、この40年で3分の2になった。減少した2.4万haの茶畑は統計上の減少であって、消失したり、茶の木が枯れてしまったわけではない。大半は、生産のために管理されなくなったので、統計から外されただけだ。こういった茶畑は、放棄茶園または荒廃茶園と呼ばれ、そこには樹高2〜3mの茶の木が鬱蒼と茂っている。こういった放棄茶園には、秋になると茶の花が咲き、茶の実がびっしりとなる。そしてお茶はツバキ科の植物で、ツバキ同様にタネから油を絞ることができる。放棄茶園が全国の茶産地に広がっている今、この茶の実油に注目する人たちが増えている。まだまだ少数だが、茶の実油の商品も登場し始めている。そして2016年、日本茶の実油協会も組織され、これまで全国各地で個別に茶の実油に注目し、孤独に情熱を傾け、研究していた人たちが集まりつつある。また、まだまだ少ないながらも茶の実油に関する研究結果もあり、茶の実油にはツバキ油と同等のオレイン酸とリノール酸が含まれることも分かってきた。これから確実に増える放棄茶園とまだまだ発展途上の茶の実油の世界。茶の実油の可能性を日本茶の実油協会代表理事 地藤久美子さんにお話をうかがった。 地藤久美子(じとう くみこ) 茶の実を見つけた時の感動が忘れられずに早8年。全国で茶の実を集めている人と繋がり、協会を運営し、油を使ったバウムクリーム作りのイベントを開催。毎年秋は、ホームグラウンドである滋賀の茶畑が私を呼んでいる!と勇んで畑へ。一度行くと時間を忘れて収穫してしまうほどの茶の実好き。 知られざる「茶の実油」の可能性を探りたい Q:「日本茶の実油協会」について教えてください。 地藤:2017年に活動をスタートした任意団体です。 日本茶の実油協会のみなさま結成のきっかけは2016年6月に東京・高円寺で開催された茶の実油のイベントでした。その会を主催されていた、株式会社緑門の下山田さんにご挨拶をし、「私も茶の実を拾いたいと思っているんです」とお伝えしたところ、「茶の実に興味がある人を何人か知っているから、一度集まりましょうか」という話になったのです。 そして同年秋には15人ほどが集まり、「第1回サミット」と称した、ただの飲み会を開催しました。続いて2017年12月に第2回サミットを名古屋でして、今回は勉強会を開催しました。第3回は2018年11月に滋賀県の信楽で、茶の実を拾ったり茶の実油を絞ったりするイベントを開催しました。 Q:メンバーたちは全国いろいろなところで活動しているんですか? 滋賀県で行われた第3回茶の実油サミット地藤:そうですね。佐賀県、滋賀県、奈良県、京都府……各地にメンバーがいます。 なかには、インドに住んでいたときに茶の実に興味を持ち、帰国後は東京と佐賀を行き来しつつ、嬉野の茶畑で茶の実を拾っているというユニークなメンバーもいます。彼は2023年の秋には300キロほどの茶の実を収穫しました。 Q:茶農家なら誰しも「茶の実を活用できたらいいのに」と考えたことがあるように思います。それなのに、これまで茶の実がビジネスになってこなかったのはなぜでしょうか。その背景にどのような難しさがあるのか、お聞かせください。 地藤:やはり茶の実油の搾油率が10%とかなり低いことでしょうか。先述したメンバーの例でいうと、茶の実を300キロ収穫しても、乾かすと150キロになり、茶の実油にするとわずか15キロになってしまいます。効率がよくないので、やはりみなさんなかなか手を出せませんよね。 それと、収穫タイミングの問題もあります。一番いいのは、茶の実が熟して、割れそうになっているタイミング。実が割れそうになってから落ちるまで1週間ほどあるので、その間に枝を落として収穫するのが効率的です。 拾った茶の実たちいったん実が落ちてしまうと、地面を這いつくばって実を探すしかなく、手間がかかります。私は地面に落ちている実を探すのが、宝探しのようで好きなんですけどね。毎年、収穫の時期になると、毎日のように茶畑に通って2キロ程度ずつ収穫します。茶の実油にするとわずか100グラム程度に減ってしまう量ですが、収穫が楽しいからそれでいいんです。 また、茶の実油を取り扱う難しさで言うと、利用方法がまだ確立されておらず、商品が生まれないため、消費者がその存在を知らないことでしょう。需要が少ない分、商品化しても割高になってしまう。そこが問題だと思います。 これから研究が進んで、茶の実油の特徴や強みが見つかることを期待したいです。 茶の実を拾うのが楽しくて楽しくて、このために生まれてきたのかも? Q:茶の実油に出会ったきっかけを教えてください。 地藤:8年ほど前のこと、信楽でお茶専門店に勤めていた時、べにふうきの茶畑に見慣れないものが落ちていました。それを持ち帰って、社長に「これ、なんですか?」と聞いたら「茶の実だよ、知らないの?」と言われまして。 […]

《茶✕サブスク》月額500円で体験できる3種のお茶で毎月ひろがるお茶の輪郭線。【TOKYO TEA JOURNAL/谷本幹人】

ネット決済の少額化・低コスト化が進み、サブスクリプション(定期購入・定額課金)が様々な業種に広まった。お茶は、かさばらず、軽く、常温で配送でき、賞味期限も長く、リピート性の高い商品であるため、サブスクリプションとの相性がすこぶる良く、導入事例も多い。しかしその反面、導入してもサービスを継続できない、または拡大しない事例も散見される。そのような状況の中、快走を続けるのが、日本初の「観て飲む」お茶のサブスクリプションサービス「TOKYO TEA JOURNAL」だ。「TOKYO TEA JOURNAL」は、月額500円で3種類のお茶と16ページの情報誌が届くサブスクリプションサービスだ。「お茶が好きだけど、選び方が分からない」「ゆったりしたお茶時間を過ごしたい」「お茶に関わるいろんなことを知りたい」「お得に、お茶を楽しみたい」という方へ高い体験価値を届けている「TOKYO TEA JOURNAL」。月額800円(本体500円+送料300円)という手軽さで質の高い体験価値を提供し続けているその裏側を、今回はクリエイティブデザイナーの谷本さんにうかがった。 谷本幹人(たにもと みきと) UCY ALTER DESIGN/green brewing 取締役 兼 クリエイティブディレクター。世界初のハンドドリップ日本茶専門店「東京茶寮」、シングルオリジン煎茶専門店「煎茶堂東京」、焙煎温度別ティージェラートカフェ「MARUZEN Tea Roastery」などを手掛ける。 サブスクで「いろいろなお茶を楽しみたい」を毎月かなえる Q:TOKYO TEA JOURNALはどんなサービスですか? […]

《茶✕北限》限界を超えろ!北海道に7000本の茶樹を植え、茶生産を目指す「北限のお茶」プロジェクト。【緑碧茶園/興梠洋一】

お茶の木は、中国雲南省原産の亜熱帯植物。そのため世界のほとんどの茶産地は、緯度の低い南国にある。 世界の茶産地からみると日本は、トルコ、イラン、グルジア等とならぶ、お茶の北限に位置する国だ。実際、日本の茶生産は西日本に集中しており、秋田県檜山、岩手県気仙沼にも茶畑は点在するが、お茶の商業的な北限は新潟県村上市と茨城県大子町を結ぶラインといわれている。しかし、その北限を大幅に北上させ、北海道・ニセコでお茶づくりに挑戦している人達がいる。全国に140店舗以上を展開し、2020年に本社をニセコに移転した[世界のお茶専門店ルピシア]と、日本最南端のスキー場がある宮崎県五ヶ瀬町にて40年以上にわたり、お茶を生産する釜炒りの巨匠・興梠洋一(こうろぎよういち)さんたちのグループだ。 2015年より始まった「北限のお茶」プロジェクト。 2022年には樹齢40年以上、7000本ものお茶の木を静岡から移植。これまでにない規模と方法で「北限のお茶」への挑戦を続けている。 今回はそんな「北限のお茶」プロジェクトの創始者・興梠洋一さんにお話を伺った。 興梠洋一(こうろぎ よういち) 1962年生まれ 1987年に二代目として就農し、茶業の道へ入る。1995年にお茶専業農家五ヶ瀬緑製茶として本格的に茶業経営を行う。2015年より株式会社ルピシアと、北海道ニセコ町にお茶の木を植栽する。2020年から株式会社新雪谷茶園(ニセコ茶園)を設立し、ルピシア「北限のお茶」プロジェクトをスタートする。2023年、株式会社緑碧茶園(ルーピー茶園)に名称変更(株式会社ルピシア グループ会社)し、現在同社の社長を務める。釜炒り製玉緑茶部門にて通算農林大臣賞17回受賞。その他日本茶アワードやジャパンティーセレクション パリ、ザ・リーフィーズ インターナショナル・ティ・アカデミーなど国内外でも数々の賞を受賞している。受賞歴「五ヶ瀬緑製茶」 ・釜炒り製玉緑茶部門(全国、九州、県大会)で通算、農林大臣賞17回受賞 ・日本茶アワード 2019年 萎凋釜炒り茶 華菜 釜炒り茶部門 審査員奨励賞 受賞 2021年 焙煎釜炒り茶 奏燻 釜炒り茶部門 ファインプロダクト賞 受賞 ・ジャパンティーセレクション パリ 2021年 萎凋釜炒り茶 華菜 釜炒り茶部門 金賞 受賞 2022年 八朔の花紅茶 はなえみ その他の部門 グランプリ受賞 2022年 焙煎釜炒り茶 奏燻 釜炒り茶部門 銅賞 受賞 ・ザ・リーフィーズ インターナショナル・ティ・アカデミー 2022年 八朔の花紅茶 はなえみ 金賞 受賞 始まりは、スキーリゾートのニセコにお茶を植えてみよう!だった。 Q:「北限のお茶」プロジェクトについてお聞かせください。 […]

《茶✕インバウンド》「茶畑に行きたい!」バスは一時間一本以下。最寄りの駅まで10キロ。陸の孤島の茶産地に訪日外国人が殺到するヒミツ。【京都おぶぶ茶苑/ 松本裕和】

コロナ禍の鎖国が明け、円安が進み、2023年のインバウンド観光客(訪日外国人旅行者)は、2000万人を超えた。2024年には史上最多の3300万人を超えるという見込みもある。(JTB旅行動向見通しによる) インバウンド観光客のほとんどは、公共交通機関のみで移動するため、大都市や観光地のみを訪問するケースがほとんどだ。抹茶をはじめ、お茶に興味のあるインバウンド観光客も少なくないが、中山間地域に多い茶産地まで訪問するケースは全国的にまだまだ稀である。 そんな中、インバウンド観光客を呼び込むのに成功している茶産地がある。京都府和束(わづか)町だ。ここは、宇治茶の産地として茶作り800年以上の歴史があり、最近では和束茶としても名高い。ここ和束町には、お茶好きなインバウンド観光客に対応施設、d:matcha、和束茶カフェなどがあり、年中とおしてさまざまな髪色のインバウンド観光客が訪れている。 今回ご紹介する京都おぶぶ茶苑もその一つ。2010年より、積極的にインバウンド観光客の受け入れを行なっている。 和束町には駅がない。国道もかすめている程度。10キロ以上離れた最寄り駅からのバスは、一時間一本以下。そんな陸の孤島にインバウンド観光客が集まるヒミツを京都おぶぶ茶苑 共同代表 松本裕和さんにうかがった。 松本裕和(まつもと ひろかず) 1975年奈良県大和郡山市生まれ。大阪産業大学経営学部卒業。在学中に宇治茶の主産地京都府和束町で農繁期のアルバイトを通じ、その後新規就農者として就農する。地元茶農家や友人とともに、農業生産法人や製茶販売法人を創業し役員に就任する。2001年に第一期日本茶インストラクターに最年少で合格する。2004年に前記法人でおぶぶ茶苑ブランドを立ち上げるも、経営方針の違いにより両法人を退社する。その後、住宅や保険販売の営業職を経て、2016年に京都おぶぶ茶苑合同会社に再就職し、ツーリズムを中心にマネジメントを任され、現在は同法人の共同代表に就任 すべて英語でガイド!日本茶を楽しく学べる4時間のティーツアー Q:京都おぶぶ茶苑の提供する「ティーツアー」について教えてください。 松本:京都おぶぶ茶苑では、「日本茶を世界へ」をミッションにさまざまな活動を展開しております。現在、4haの茶畑を管理し、100種類以上のお茶を生産、主にインターネットで販売しております。 ティーツアーで参加者に説明をする松本さん ティーツアーは、主にインバウンドの海外旅行者のうち、お茶が大好きな方を対象とした4時間のツアーです。 ティーツアーに参加すると、茶畑や茶工場を見学することができ、煎茶、玉露、抹茶、ほうじ茶、玄米茶、和紅茶など9種類のお茶を飲み比べたり、お昼ご飯には、ぶぶ漬け(お茶漬け)を食べることができます。 ティーツアーでは、茶産地や茶作りの現場を体験しながら、日本茶について全般的に学べる内容になっています。 ティーツアーでガイドするおぶぶ茶苑のインターン生 ティーツアーで使用する言語は英語でして、海外からの国際インターン生とおぶぶの日本人と外国人のスタッフがガイドします。 コロナ禍の鎖国が明けた2023年は、2,000人以上のインバウンド旅行者がティーツアーに参加してくれました。そのうち、7割程度が個人旅行のお客様で、3割くらいが旅行会社経由でご予約を下さっています。2024年は、3,000人くらいを見込んでいます。 京都おぶぶ茶苑がある京都府和束(わづか)町は人口約3700人。町内に電車の駅がなく、最寄りの駅(といっても10キロも離れていますが。)からのバスは1時間に一本もありません。 近くには忍者で有名な伊賀や甲賀、剣豪で有名な柳生などが近くにある山深い里です。和束町の主産業は、お茶。600haの茶畑があり、京都府のお茶の半数近くが和束で生産されています。 […]

《茶✕DNA》「スマート育種」で10年が2年!?DNA情報活用で、個性あふれる新品種が思い通りに。【静岡大学/ 一家崇志】

やぶきた、つゆひかり、さえみどり、せいめい。 これらはお茶の品種の名前だ。最近のシングルオリジン(単一品種)ブームにより、これらのお茶の品種名を聞いたことがある人も多いかもしれない。 ほかにも花粉症に効果がある「べにふうき」やアントシアニン成分が豊富な「サンルージュ」など機能性のある品種も登場し、お茶の新品種に対して期待が高まっている。 そのような中、動植物の品種改良に欠かせないDNA情報の活用技術がお茶の世界にも応用されつつある。 その背景には、1990年代のIT革命、2001年のヒトの全ゲノム解析完了などにより、DNA解析技術への注目と投資が集まり、2007年半ばにはこれまでの100倍以上の速度を持つDNA次世代シーケンサー(NGS)が登場したことが挙げられる。次世代シーケンサーの登場によりゲノム解析にかかる時間とコストが格段に小さくなり、DNA情報を活用した技術やサービスが次々と生まれている。 そして2020年、「茶樹のDNA解析で得た遺伝情報により、カテキンやカフェインなどの機能性成分を予測する世界初の技術」が開発された。これによりこれまで十年以上かかっていたお茶の品種改良が格段に早まり、オーダーメイドによるお茶の品種改良の可能性の扉が開かれた。 この技術を開発した、静岡大学農学部応用生命科学科 一家 崇志 准教授に「お茶」✕「DNA」の可能性について、お話を伺った。 一家崇志(いっか たかし) 1980年11月生まれ(福井県出身) 2008年に岐阜大学大学院連合農学研究科を修了(博士(農学))。2009年に(独)農業生物資源研究所特別研究員を経て2010年に静岡大学農学部助教、2017年より静岡大学学術院農学領域准教授。2022年11月に静大ベンチャー企業Aoi Gin Craft Technology株式会社代表取締役CEO、2024年1月よりS-Bridges株式会社取締役CBO (Chief Bioeconomy Officer) に就任。植物栄養学や植物分子遺伝学を専門とし、チャやワサビをはじめとする様々な植物の生理機能解明研究に従事している(はず)。 おいしいお茶を短期間でつくる、待望の技術「スマート育種」 […]

《茶✕サラリーマン》「茶道」は誰のためのもの?サラリーマンとOLこそが現代の武士。給湯室が「茶室」。【給湯流茶道/ 家元(仮)谷田半休】

お茶好きに「お茶を知っていますか?」と尋ねると、「好きだけど、知らない。」という答えによく出会う。 これは、お茶には、「好き」や「おいしい」だけではすまされない、武道や書道のような日々の鍛錬・修行によって、極める「道」があるという共通認識があるからだろう。 そのようなお茶を現代的な視点でとらえなおす団体がいる。茶道ユニット「給湯流茶道(きゅうとうりゅう・さどう)」だ。 現代の武士とは、企業戦士(サラリーマンとOL)。オフィスの給湯室こそが現代の茶室であると。子供の頃に日々使ったアニメ茶碗で抹茶を点て、茶名には、千利休の「休」の字をもらい、半休、有休、三連休などと名乗る人達だ。 これは、茶道で大切にされている「見立て」なのか?パロディなのか? 2010年より活動を続ける給湯流茶道は、これまでに120回以上のお茶会を開催し、その参加者は茶道初心者から茶人まで2000人を超え、お茶会のテーマも知的好奇心をくすぐるものばかりだ。このような取組は、BBC(英国放送協会)のウェブニュースでも紹介されている。 「抹茶の効能を有閑マダムから、毎日労働と戦う人々に開放せよ。」 現代茶道ムーブメント「給湯流茶道」を牽引する、家元(仮)の谷田半休さんにお話をうかがった。 給湯流茶道 谷田 半休(たにだ はんきゅう) 慶応義塾大学を卒業後、会社員として今も働き続ける。2010年、会社員の「戦場」であるオフィスの給湯室で抹茶をたてる茶道団体「給湯流茶道」を結成。秀吉などの武将が戦場で茶会をしたエピソードを現代に再現し、リストラ、パワハラなどと戦う人の職場で抹茶をたてる。給湯室を飛び出し、ロンドンの弁護士事務所から、廃線になった駅、廃業した純喫茶、道後温泉ストリップ小屋まで、様々な「諸行無常な場」でも茶会を決行。 オフィスの給湯室で茶会を開く「給湯流茶道」 Q:「給湯流茶道」を立ち上げた経緯をお聞かせください。 谷田:「給湯流茶道」立ち上げの最大の理由は、現代のビジネスパーソンには抹茶や茶会が必要だと考えたことです。 戦国時代に茶道が流行したことはご存じでしょうか。 もちろん当時、立派な茶室での茶会も多く開かれていましたが、その一方で、戦(いくさ)に千利休(戦国時代に活躍した有名茶人)を連れていったり、茶道具を戦場に持参して、休戦日に茶会を開いたりしていたというエピソードが残っています。 ではなぜ、武将たちは戦の間に抹茶を飲んでいたのか。 それは、抹茶にはほっとする成分(テアニン)と覚醒する成分(カフェイン)の両方が入っているからだと個人的に考えています。戦士たちは、生きるか死ぬかという場所で抹茶を飲むことで、心を落ち着かせると同時に、自分を奮い立たせていたと思います。 現代を生きる私たちが戦に行くことはありませんが、仕事や子育ては戦と同じくらい過酷なものですよね。武将たちが抹茶を飲んで気持ちを保とうとしていたように、現代人が仕事や子育てと戦う際にも抹茶が役に立つのではないかと考えています。 オフィスの給湯室はもちろん、自宅など、場所はどこでもかまいません。「人それぞれの戦の場で抹茶を飲もうよ」というのが給湯流のメッセージです。 […]

《茶✕冷凍保存》一年中、新茶の香りが楽しめる!?蒸したての生葉を冷凍保存し、店頭で製茶。冷凍茶葉がひらく新たな可能性。【売茶中村/中村栄志】

人類がお茶を飲むようになって、数千年。その間、今に至るまで茶葉は乾燥して保存されてきた。この50年、冷凍技術が進化・普及し、グローバルなコールドチェーン(低温物流)が実現した。外国産の生肉がスーパーに並び、家には必ず冷蔵庫がある。しかし今も昔も茶葉は当たり前のように乾燥して保存されている。 これまでも冷凍保存した茶葉の活用事例はもちろんある。例えばこの30年、各茶産地における手揉み製茶保存会の復興がみられるが、この理由の一つとして、手揉み製茶の練習用に冷凍茶葉が手軽に使えるようになったことも挙げられるだろう。 今回フィーチャーする売茶中村では、冷凍茶葉の可能性をさらに進化させている。「売茶中村」では、全国の茶産地から蒸したての生葉を集め、冷凍保存している。茶葉を販売する店舗内で、冷凍茶葉を年中製茶し、来店者は、これまで旬の茶産地でしか体験できなかった新茶の香りを嗅ぎ、製茶を体験し、購入することが、年中できるようになった。 これまでブレンド茶しかなかった日本茶の世界において、シングルオリジンの日本茶が浸透しつつある今。売茶中村は、さらにその先にある価値を探求しているといえる。 旬の茶工場でしか嗅ぐことができなかった「新茶の香り」。現代の冷凍技術を取り入れ、年中できたての新茶の香りを楽しめる「売茶中村」の挑戦をうかがった。 中村栄志(なかむら えいじ) 1991年、京都府宇治市の茶商の家系に生まれる。大阪の大学卒業後、鹿児島県霧島市の茶農家[西製茶工場]で6年半に渡り、茶の栽培・製茶・販売に携わる。2022年10月、京都・宇治で喫茶に冷凍茶葉の茶工場を店内に有する日本茶専門店[売茶中村]をオープン。 製茶したてのお茶を味わえる、唯一無二のお店 Q:[売茶中村]はどんなお店ですか? 中村:京都府宇治市、平等院から歩いて1〜2分ほどのところにある、小さな製茶場と喫茶を併設したお茶の専門店です。 このお店をひと言で表現すると、煎茶が出来上がるさまが目の前で見られる場所。多くの人にとって、今までにないお店だと思います。 煎茶は、茶畑から摘んだばかりの柔らかい新芽を蒸して、揉みながら乾燥させて作られます。揉んだばかりのお茶を味わえるのは、これまで製茶場で働く人だけでした。 実は僕自身、初めて乾燥機から出てきたばかりの新茶を味わったとき、一般的に売られている新茶との違いに驚きました。爽やかで、どこかワイルドさも感じられて、しかも茶葉はなめらかであたたかい。そこには、自分が知らないお茶の世界が広がっていたのです。 店内で製茶中のお茶[売茶中村]では、これまで製茶場で働く人の特権だった「新茶:製茶したてのお茶(揉んだばかりのお茶)」を味わっていただけます。 [売茶中村]で味わっていただける新茶は、一般に出回っている新茶と鮮度がまったく違います。製茶したてのお茶は、新茶が出回る時期でもめったに飲めない、フレッシュな味がするんですよ。しかも一年中、どんな時期でも製茶したての新茶を味わっていただけます。本物志向の方や上質でおいしいものを好む方に、ぜひお試しいただきたい味です。僕はこの味を広く知ってもらいたい一心で、喫茶に製茶場を併設させました。 店内に並ぶ製茶用の機械たちさらには、普通ではまず見られないようなお茶づくりの裏側を、すぐそばで見られるのも[売茶中村]の魅力です。新茶の香りや音、「誰が/どのようにつくっているか」「なぜこの味になったのか」を知ってもらえる、唯一無二のお店だと自負しています。 製茶中の茶葉を触ったお客さんは「製茶したてのお茶ってあったかいんや!」「こんなにしっとりしてるん?」と驚かれますね。 Q:[売茶中村]は、技術的に大変難しいとされる「冷凍茶葉」を取り扱っていることで業界内からも注目されていますね。 中村:ありがとうございます。「うちもやってみたけれど、挫折したよ。すごいよね」と言ってくださる方もいますね。 僕も今のスタイルにたどり着くまでは、いろいろと試行錯誤しましたし、本当に大変でしたね。やっぱり、きちんと冷凍しないと、どうしても茶葉が傷んでしまいますから。さまざまトライする中で「手揉みくらいの量ならば冷凍できる」「少量製茶機ならうまくいきそうだ」ということがわかったことがブレイクスルーになりました。 [売茶中村]では、5月に摘んだ茶葉をすぐに蒸し、急速冷凍して保管したのち、使う分だけを解凍し、熱をくわえながら揉み込み乾燥させて揉みあげています。完成した茶葉は色もきれいですし、新茶の香りもしっかりと残っているんですよ。 […]